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2010年8月 6日 (金)

広島平和記念日

今日は 朝から

「 原爆死没者慰霊式 ・ 平和祈念式 」 への

国連総長、米駐日大使、英仏両国の代表の初参加が

ニュースになっている。

 

今年は 65回目の祈念式典。

 

そんなことで 例年より ひときわ注目を集めているようだ。

 

 

 

 

1945年 8月 6日。

当日の気温は 27度程。

今の猛暑日本から考えると 数字的には涼しげだが

湿度は80%あったそうだから

相当に 暑い日だったことだろう。

 

 

その夏の日に 一機の飛行機が 広島を変えた。

 

 

 

 

今でも

アの国の多くの人は その判断は正しかったと言う。

今回の大使出席に関しても 批判が出ているとも言う。

 

 

             

 

では 判断は別にして

いまだに 心身ともに苦しむ人を多く作ったと言う、

その結果も 正しかったと言えるのだろうか。

 

 

 

 

その時の、過去の判断を 云々するよりも

今現在を見つめ、

今後の世界を考える礎として欲しい。

 

 

 

そんな悲劇が 65年も前にあったのに

残念なことに 今でも 世界のどこかで戦争が行われている。

 

その戦争がなくなり

核兵器なき世界が実現されて 初めて

亡くなった方々の鎮魂となり

被爆した方々や遺族の方々の 安らぎとなるのだと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

INORI ~ 祈り ~

 

別れがくると知っていたけれど 本当の気持ち言えなかった

色とりどりの折り鶴たちに こっそり話しかけていました

愛する人たちのやさしさ 見るものすべて愛しかった

もう少しだけでいいから 皆のそばにいさせて下さい

 

泣いて泣いて泣き疲れて 怖くて怖くて震えてた

祈り祈り祈り続けて 生きたいと思う毎日でした

 

折り鶴を一羽折るたび 辛さがこみ上げてきました

だけど千羽に届けば 暖かな家に戻れる

願いは必ずかなうと 信じて折り続けてきました

だけど涙が止まらない 近づく別れを肌で感じていたから

 

泣いて泣いて泣き疲れて 折り鶴にいつも励まされて

祈り祈り祈り続けて 夢をつなげた毎日でした

 

別れが来たと感じます だから最後に伝えたい

本当に本当にありがとう 私はずっと幸せでした

 

泣いて泣いて泣き疲れて 折り鶴にいつも励まされて

祈り祈り祈り続けて 夢をつなげた毎日でした

 

めぐりめぐり行く季節をこえて 今でも今でも祈ってる

二度と二度と辛い思いは 誰にもしてほしくはない

誰にもしてほしくはない 

 

                             作詞 GOD BREATH

                             作曲 佐々木 祐滋

                             歌手 クミコ

 

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日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

「こんにちわ」
・・・・こうやって何気ない毎日の言葉を投げかけることが、ある日突然、無くなってしまった人たちへの追悼の日ですね。

私は中学の頃に初めて原爆についての本を読みました。
本当に読んでいるうちに周りのものや、気配など何も感じなくなって、本の中に潜り込んでいたようだった事を思い出します。

泣いて泣いて・・・・泣きまくりました。

次々と原爆に関する本を読みました。
やはり泣けて泣けて仕方ありませんでした。

もうね・・・言葉にならないんですよね。
どんな言葉も、心を表現など出来ませんでした。

なんていったらいいんでしょうねぇ・・。
アメリカでは、戦争を終わらせた一番良かった方法だと、子どもたちに教えているそうですから、やはり、ある意味合法だったと思っているようです。(核爆弾が悪いとはわかっていてもです)

戦争だけは、殺人罪にならないのが不思議です。
人を殺してしまったら、刑務所なりの処罰を受けますが、戦争だけは罪にならないのが、おかしいとどうして思わないんでしょうねぇ・・・。

かつての日本も同じです。

やっぱり戦争はしちゃいけません。
人を殺しちゃあいけないのですから。
「命」を尊んでいかなくちゃ、そのうち地球に住めなくなりますよねぇ・・・。

いつもこの日は、心が重くなる悲しい日なのです。
(私は被爆の親戚も知り合いもいませんが、やっぱり悲しいのです)

投稿: kerokero | 2010年8月 7日 (土) 12:10

こんにちは^^
ご無沙汰しておりました^^;

核のない世界、武器のない世界って
ちょっと考えたら簡単に実現できそうなんですが、
きっと無理なんでしょうね。

各国の防衛費だけでも莫大な金額でしょうし、
そういうお金を途上国の発展の為や福祉に利用すれば
いいのにね。

そういう有意義なお金なら消費税が10%になっても
許すけど^^

投稿: まっしろ | 2010年8月 7日 (土) 15:51

>kerokeroさま
 
こんにちは。
お返事が大変遅くなり 申し訳ありません!!
 
広島に続き、9日は長崎原爆の日でしたね。
 
もうなくなって久しいのですが
友人の父親は長崎出身で被爆体験者でした。
身近に そう言う人がいると原爆と言うものが
現実味を帯びてきます。
 
よく伯父が戦争中の話をします。
まだ子供だった頃の話で
満足に食べることが出来なかったこと、
援農に出かけたことなどで
爆撃に逃げ惑うと言うような話ではないのですが
それでも 今考えると小学生の身の上で
ろくな食事もせずに 朝から何キロと言う道のりを歩き、
小さな身体で農業を手伝い、また同じ距離を歩いて帰ってくる。
報酬は お昼に出される おむすびひとつ。
 
そんな話を聞くと かわいそうなんて言葉が陳腐に聞こえるような
何とも切ない気持ちになるのです。
 
広島、長崎の人たちのことは 増してやです。
本当に 言葉では言い表せないくらいの
深い悲しみ、辛さ、苦しさを味わったのですよね。
感受性の強いkerokeroさんのことですから
本をお読みになって
同じくらいの悲しさや苦しさを お感じになったのだと思います。
 
そう言う思いが核兵器のない世界、
ひいては 戦争のない世界を作る一助になるのだと思います。
 
 
 
 
 
>まっしろさま
 
こんにちは。
こちらこそご無沙汰致しております。
お返事が大変遅れまして 申し訳ありません!!
 
 
国家と言うもの、国際的な国の関係、
常に利害と打算が絡み合っていて
何かを行うのには 裏があったりと
何事においても なかなか一筋縄ではいかないのが現状です。
 
 
おっしゃるように 核のない世界の実現は難しい問題です。
ある国々では何年も続く諍いがあることも確かです。
ひょっとしたら
自分たちが生きているうちに出来ることじゃないかもしれない、とも思います。
 
 
秋葉広島市長がアメリカの大学教授だった時代に
アキバプロジェクトと言う活動を行っていたそうです。
原爆投下は正しかったのだと教えられているアメリカ人ジャーナリストを
広島に送り 現状を見聞させると言うもの。
離れた地で 何も見ずに何も聞かずに 議論するのではなく
実際に その地の空気に触れることにより
何かを得ると言うこと。
これは とても大事なことだと思います。
 
そして、体験を語り継ぐ人々がいる。
 
こうして実現に向けて汗を流す人々が たくさんいるのですから
いつかは叶うものだと信じて行きたいのです。
 
唯一の被爆国の国民ですから
無理では、と不安がらずに信じていきましょうよ。

今回の国連総長、米駐日大使、英仏両国の代表の出席が
核廃絶のための一歩になってほしいと 心から願ってやまないのです。
 


投稿: 花mame | 2010年8月11日 (水) 16:00

どんな生き物であっても、命がおしくないものなどいないと思います。
暴力が好きな生き物もいないはず。
怒と恕は良く似ているけれど違います。
私は恕で行きたいと思います。
一切の悲しみ苦しみが無くなること、これが私の一番の願いです。

投稿: 睡蓮 | 2010年8月17日 (火) 20:14

>睡蓮さま
 
こちらにも ありがとうございます。
 
そうですよね。
みんな必死に生きている。
命をかけての闘いはあっても
人間のそれとは違う意味を持つものです。
 
怒と恕。
日本語って不思議ですよね。
怒りと思いやり。
反対のような意味を持つ言葉が
こんなによく似た漢字で表わされているなんて。
 
睡蓮さんの願いは みんなの願い、
一日も早く叶うよう
何らかの形で努力していきたいものですよね。

投稿: 花mame | 2010年8月18日 (水) 19:06

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